くさつFarmers' Market

取材記事

2023.10.05

人との繋がりを、“農”で仕掛けていく。年間60種類の野菜を育てるひら自然菜園のこれまでとこれから

ひら自然菜園[大津市]

「年間通して30〜40品目くらいで品種は60種類以上育てています。長茄子や秋茄子など、ナスだけでも4種類ありますよ

滋賀県西部にある大津市旧志賀町を拠点に農業を営むのが、「ひら自然菜園」の加地玄太さんです。現在、加地さんの畑は琵琶湖のすぐ近くにあり、2022年に開墾。水捌けがよく、野菜作りに適している土質だとわかり、わざわざ拠点を移したそうです。

2haある畑では、有機農業で様々な種類の野菜が育てられています。今夏は、トマトやナス、万願寺とうがらし、ピーマン、オクラなどなど。くさつFarmers’ Marketの出店でも、「こんな大きなオクラあるのか!」「白いナスがある!」と、普段スーパーで目にする野菜以外にもたくさんの種類があることに驚いた人もいるのではないでしょうか。

ひら自然菜園はくさつFarmers’ Marketの出店以外にも、旬がいっぱいの野菜セットを定期販売していたり、大津市南船路にある蓬莱の家で『HOURAIマルシェ』を開催したり、さらには、シェアファームも運営しています。

今回の記事では、なぜ少量多品目で農業をするのか“野菜作り”に込められた想い、そして、シェアファームやマルシェなど活動を広げる理由を伺いました。

少しずつ多くの種類を育てる理由

「少量多品目」とは、文字通り多くの種類の野菜を少しずつ栽培する方法です。農業を始めた当初から、加地さんはこの栽培方法を採用しています。取材をした7月下旬は、空芯菜やオクラ、つるむらさき、バジルなど、畑では様々な野菜を目にすることができました。沖縄が原産の『島オクラ』や断面が星型の『ダビデの星』など、オクラだけでも3種類もあります。

10月には夏野菜の名残でナスやオクラなどに加えて、さつまいもや落花生が、11月にはにんじんやレタス、小蕪などが旬になります。

オクラの花は食べることができ、オクラのように粘りがある

赤色のオクラ

断面が星型の『ダビデの星』という品種のオクラ

旧志賀町は、西には比良山、東には琵琶湖という場所に位置します。同じ旧志賀町の畑でも、少し位置がずれると、土質も変わってきます。そこで、加地さんはそれぞれの土質によって、どこにどの野菜を植えるかを決めているそうです。

自ら引いた水路から、畑に水を注ぐ

さらには、有機農法を取り入れ、自然由来の肥料や農薬を使用しています。化学由来の神経毒ではなく、自然由来のもので、蝶や青虫の対策をしています。

少量多品目で野菜を育てるのは手間がかかります。野菜同士の相性を考えて植える場所を決めたり、収穫時期を統一できなかったり。そんな苦労が多いなかでも、なぜ少量多品目で野菜を育てているのでしょうか。

「限られた種類の野菜を大量に育てて、売るというのにもともと興味がなく…。私が農を魅力的に感じたきっかけは、地域住民に農地を貸して必要な分だけ育てる『貸し農園』がいいなと思ったからです。

『貸し農園』などを使って多くの人が野菜を育て、農の世界を身近に感じてほしいと考えていますが、なかなか難しいです。そこで、できるだけいろんな種類の野菜を売ることで、『オクラでもダビデの星と島オクラでは、味が違う!』と、野菜の美味しさや面白さを伝えたいなと思っています 」

一度は離れたものの、戻ってきた農の世界

大学時代、農学部で環境問題や自然に関する学びを深めながら、農家でアルバイトをしていた加地さん。このアルバイトで出会った農家さんが、農業の知識が豊富なだけでなく、従業員を引っ張っていくようなリーダーシップがあり、経営力に富んでいたそうです。

「計画的に農業経営をしていて、従業員も家族だけでなくパートも雇っていて、モチベートするのが上手で。私を含めたバイトの大学生も、尊敬の念しかなかったです。『経営力があって、人を巻き込むのが上手な人が農家になれるんだ』と思い、私は到底そうはなれないなと。ちょっと挫折をしてしまって、農の世界を離れてしまったんです」

農家を諦めたものの、農業自体は好きだった加地さんは、大学卒業後に農業土木をメインとする建設コンサルタントに就きました。

しかし、働く中でやりたいことと違うと感じたそうです。そんなある日、体験農園を週末に運営するという本と出会ったことが、加地さんの人生を少しずつ動かしていきます。

「その本には、『農福連携』という、農業を通じてホームレス支援する活動が書かれていました。今では一般的ですが、当時はそのような活動は珍しく、『農業って野菜を売るだけではないんだ!』と新たな発見でした」

本に感化された加地さんは、実際に著者の体験農園に訪問。農福連携という仕組みを目の当たりにするだけでなく、「新たな農家としての在り方」に出会ったと言います。

「本も書かれていたので、ものすごい経営者なんだろうなと思ったら、そうではなく(笑)。肩の力が抜けた、優しそうな人だったんです。

農業アルバイトの経験から、経営者は常にリーダーシップがあって、強がらないといけないと思い込んでましたが、一気にその像が崩れたんです」

新たな農の価値を知り、経営者としての固定観念が変わった加地さんは、もう一度、農の世界へ戻ることを決心しました。

その後は、生まれ育った場所である滋賀に帰郷農業の技術を身につけるために、3年間東近江市の無農薬・無化学肥料で栽培と販売をする『晴れやかファーム』で仕事をしつつ、農業の知識を増やしていき、2019年に旧志賀町で独立を果たしました。

野菜を育てることは、人との繋がり作り

少ない野菜を大量に作って売る以外にも、多様な農家としての在り方があると知った加地さんは活動の範囲を広げています。

その1つが、毎月第一日曜日に大津市南船路にある蓬莱の家で開催している『HOURAIマルシェ』です。「なにかありそう、だれかいるかも。ただそれだけのことだけど、そう思える場所がある」をコンセプトにしています。このコンセプトは加地さんの経験や想いから出てきた言葉だそうです。

「大学生時代に、東日本大震災のボランティアに参加した際に、被災地で一人ひとりが協力し合っている姿が印象的でした。改めて、人が繋がることの大切さが身に染みたんです。

でも、その繋がりは日常のなかで少しずつ紡がれていくものです。生活の中で人と繋がりができるような仕掛けや、偶発的に人と出会って、話せる場所が必要だなと。HOURAIマルシェがそんな場所になるように、コンセプトに想いを込めました」

2020年から始まったHOURAIマルシェは、今では運営に大学生も加わり、2023年9月3日で36回の開催を達成しました。

HOURAIマルシェの様子(加地さんより提供)

他にも、HOURAIマルシェを開催している蓬莱の家や京都大原で、シェアファームも実施しています。初めて農業をする人たちや、働きながら野菜を育ててみたい人たちに向けて、農地だけでなく、技術や知識を教えています。

「菜園技術を身につけ、自身の望む農ライフを実現して欲しいのもありますが、それ以上に自然への感覚を取り戻して欲しいと思っています。

利便性の高い現代社会では農家と非農家を分けることで、発展と同時に現代人が自然と触れる時間を多く失ったと思っています。

その一つの原因として、かつて生活圏内にあった畑との関わりが少なくなったことがあるのかと思っています。

自分たちで野菜を育てたり、土に触れることがないので、野菜が虫にどのように食べられるのか?雑草が野菜にどう悪さをするのか?なんで曲がったりする人参ができるのか?知識は持っていても、感覚では捉えにくくなっているように感じます。

そのため、生きる上で大切な農業やそのベースにある自然を他人事として捉えてしまうような社会構造に寂しさを覚えます。菜園を通して楽しみながら自然の感覚も一緒に取り戻してもらえると嬉しいです。」

人と自然、人と人を繋ぐ仲介者

マルシェやシェアファームなど活動を広げる加地さんは、「人と人、そして人と自然を繋げることをやっていきたい」と言います。

「例えば、トマトが食べたいから種をまいても、明日できるわけではなく、収穫までに約4ヶ月かかってしまう。その期間に芽が出て、土の水分量に注意したり、明日の天気を気にしたり。野菜を育てる中で、自然に対して見えることや気づくことが増えていくと考えています。

野菜を育ててみると、すごく時間がかかって、病気にやられたり、災害でダメになったりすることが多々あるんですよね。必ず実るとは限らない、それこそが“自然”だなと。農を通じて、少しでも自然を体感してほしいなと思います」

最後に、今後挑戦したいことを加地さんに語ってもらいました。

「ずっと堆肥事業をやりたいなと思っています。生ごみを堆肥化して、まずは私がその土を使って野菜を育て、お客さんに野菜を還元する…という仕組みを作りたいなと。現在は、ホテルから生ごみを回収して堆肥を作るようなプロジェクトに参加していますが、堆肥舎がないのであまり進んでいないです。

いずれかは、くさつFarmers’ Marketのお客さんから生ごみを回収したり、同じ出店者であるフィッシャーアーキテクトの駒井さんのところで廃棄せざるを得ない魚があったら堆肥にしたりしたいです。森や琵琶湖、農業も全て繋がっているので、その繋がりを考慮しながら課題解決していきたいです」

執筆後記

農家であり、経営者であり、大津市旧志賀町で暮らす生活者でもある。どの草鞋も大切にしながら活動をしている加地さんだからこそ、一人ひとりのライフスタイルに沿った農との関わりを提案できるのだろうと取材中にひしひしと感じた。

街の中心部に暮らしていると、自然を感じるのはせいぜい台風やゲリラ豪雨のような、突然発生する災害時くらいだろうか。どこまで自然と定義するかは曖昧だが、こうした今でも、風が吹き、土中の微生物が働き、雑草が背を伸ばしている。スーパーに行ったら当たり前のように野菜が陳列しているなかだと、私たちが取り巻く世界は刻々と変わっていることを感じにくいのかもしれない。

そんな現在だからこそ、加地さんのような自然と人との“仲介者”が大切になってくるのだろう。今後も、どう自然と人を取り持つのか、加地さんの活動にも注目していきたい。