くさつFarmers' Market

取材記事

2025.12.17

「やるなら、全部証明していかな意味あらへん。」農薬不検出に挑む”ひょうたん鯰”が背中で示すいちご農業の未来

ひょうたん鯰[野洲市]

大阪から、京都や滋賀に電車で来たことがある人にとって「野洲」という地名は馴染みがあるだろう。そう、JRの東海道山陽本線には「野洲行き」の電車が一日に何本も通っている。とはいえ、野洲駅を目的に訪れる人はそこまで多くはない地域の野洲。

そんな野洲駅から琵琶湖に向かって車で10分ほどの場所に化学肥料不使用、残留農薬不検出に挑戦するいちご農家さんのハウスがある。その名も「ひょうたん鯰」。

「ひょうたん鯰とは本来、捉えどころのない様子という意味。そういう様子を楽しみ、気軽に来て欲しい」
そういう気持ちを屋号に託した、代表の河野(こうの)さん。

アメリカでは残留農薬がもっとも多い果物として、いちごがここ数年報告され続けている。表皮が薄く農薬を吸収しやすいこと、果実が土に近く病気や虫の被害が大きくなりやすい。そのため他の作物に比べて農薬が使われやすい、いちご。

様々な「当たり前」に真っ向から立ち向かう河野さんのいちご栽培について迫った。

 

偶然から始まったいちご栽培との出会い

大型ショッピングモールに向かう道を少し抜けると、ひょうたん鯰と書かれたノボリがぽんぽんと立ち並んでいる。

車を停めると、ハウスの中からドレッドヘアを後ろにくくった河野さんが優しい笑顔で出迎えてくれた。流れるようにハウスの中に案内していただき、河野さんがいちご栽培に出会った経緯について聞いた。

「30歳になったら仕事が見つからないってよく聞いてたんですけど、ほんとに見つからなくて。そんな中で最初に拾ってもらったのがいちご栽培で、それしか知らないんです。」

包み隠さず、まっすぐに、でも常に優しい笑顔で境遇を説明してくれる河野さんには強い芯を感じた。偶然の出会いから始まったいちご栽培。一般的には農薬を使うことが多いいちご栽培で、どうして今のスタイルに変化していったのだろうか。そのきっかけを聞かせてもらった。

 

農薬への考えが変わりつつあった日々。
風邪を引く前から風邪薬を飲ませ続けるような気もち。

いちご農家として働き始めて、少しずつ食べ物としてのいちごに疑問を覚えた河野さん。旬を迎え、結実し元気そうに見えるいちご。収穫直前のいちごにも大量の薬品をかけながら「予防」を行う農作業に少しずつ違和感を覚えた、と河野さんは言う。

「人間だったら風邪を引いてから風邪薬を飲んで治す。でもいちご栽培は、風邪を引く前から毎日、薬やワクチンを打っているように思えた。病気になってからや、何かダメな点が見つかってから対応できるような道はないのかと探すようになった。」

もちろん科学の道理を否定するつもりはない。ただ、資本主義の先端を行く経済活動を見るとたしかに「度が過ぎる」のではと思うこともある。とはいえ、言うだけなら簡単。利便性を捨て、ゼロから行動することのほうが遥かに難しい。特に甚大な病気による被害が農家さんに襲いかかるいちご栽培なら尚更そうだ。

「炭疽病(たんそびょう)は、いちご農家さんが廃業する一番のきっかけになる」

何の変哲もなかったハウス内のいちごが、次の日に来ると全部枯れていることがある、そんな病気がいちご農家に付き纏う。それが炭疽病と呼ばれる病害。

あらゆる病気のリスクを理解しつつ、それでも化学肥料不使用、化学農薬を極力使用しないいちご栽培に向かう河野さん。その行動には一体どんな背景があるのだろうか。

 

素直に生きる、何も隠さない

農薬を使用しないいちご栽培を始める理由は、河野さんの生き方にあった。

「『今から農薬をかけるからハウスの中には数日入らんといてな』と自分の子供には説明するのに、外から来た家族連れのお客さんには笑顔でそのいちごを売らなくちゃいけない。それを自分の子供にどう説明していいか分からんかった。」

数字からはじき出された科学理論には、常に正解が存在する。
しかし気持ちが介在するものに関しては、その限りではないだろう。

河野さんは効率や”楽”を求める道ではなく、自分の気持ちに素直に生きる道を選んだ。

「世の中にはいろんな有機栽培のいちご農家さんや、無農薬でやっている農家さんもいるんだけど、みんなそれを実際には〈証明〉できてない。僕みたいな見た目のやつが『無農薬のいちご栽培をやってる』って言っても信じてもらえない。だから第三者にきっちり検査してもらうしかないんです。」

そう笑いながら話す河野さん。

「もし第三者に検査してもらって有機や無農薬を証明できてるんだったら、みんな公表したらいいのに。なんでか、あんまり公表しない。」

至極真っ当。ただ、こういう公表が難しいのもメーカー勤務の自分には思える。もし何かデータにややこしいものがあったらどうしようと考えるのが普通だ。河野さんが毎年行っている残留農薬の検査は〈自身が農薬を使ってなくとも、外部からの流入によっても数値が出る〉という。

自分がいくら農薬を使ってなくても、数字は残酷だ。

一切農薬は使ってない、と声を大にして言っても消費者には真偽の確かめようがない。だからこそ河野さんは”全ての事実”を”いつだって”ありのままに伝える努力を続ける。

「どうしてもやばいな、ってときには薬を使うことがある。以前にアブラムシを駆除する薬を使ったことがあります。それも全部伝えます、いつ、何をどれくらい使ったのかと全て書きます。」

そんな事実も隠してしまえば誰も気付かない。それはその場にいる全員がわかっていた。
でも河野さんの〈何も隠さない姿勢〉は、きちんと届いている。

ファーマーズマーケットに来てくださる来場者の方からも「美味しい」だけじゃなく、「信頼できる」という評価をいただくことも多くなってきたそうだ

河野さんのいちごは市場に流通する一般的ないちごよりも、もちろん高い。それでもファーマーズマーケットで毎回買う人や直売所に足を運ぶ人が絶えないのは、味の評価はもちろんのこと、農業への取り組みや正直に伝える姿勢を評価しているからだろう。

 

迷惑をかけない限りは失敗して反省するまで走り続ける

無農薬でのいちご栽培。それについて詳しく教えて欲しいと言われることがよくあるそうだ。

「決して簡単な道でなく、5年間の栽培を経て、得てきた独自の知見も相まって現在の形に至ってきた。農薬を使わずに育てる秘訣は何も特別なことではなく、ただただ毎回細かくいちごの状態を観察し続けること。言うのは簡単でも実行することはなかなか難しいものがある。」

河野さんの語気に力が入る。

「幸いなことにまだ大きな失敗をしていない。今の栽培方法は難しいこともたくさんあると言われているが、性格上痛い目をみないと反省できないから、失敗するまではこのまま進みます。人に迷惑をかけない限り、やれることはまずやってみたいんです。」

どんなこともまずはやってみる。

やらないうちから、大変そうだから無理だろうなどと諦めない。しかし、炭疽病になってしまい、その年のいちごが全滅したらその年の収入が0になってしまうこともあるいちご栽培。
だからこそ失敗を糧にする勇気が必要なのだ。

その覚悟が最初からある河野さんにとっては難しいチャレンジのほうが向いていた。

「ゲームをしているような感覚です。今年は無農薬でできた。今年は一回だけ農薬を使ってしまったという。その挑戦が難しければ難しいほど、山があって、谷があるほうがやりがいを感じて頑張れるんです。」

河野さんのいちご栽培の果てなき挑戦は続く。

さて長くなったが、そんな河野さんが育てるいちごで最も感動した品種を紹介する。

 

〈黒いちご ──真紅の美鈴〉

それが「真紅の美鈴」という色が濃く、大粒ないちご。もともとは千葉県で開発された品種のようで、色味だけでなく香りも味わいも濃いのが特徴だそう。

「甘いだけのいちごじゃなくて、その外側にある味わいも作り込みたい」

と熱心に話す河野さん。
食べてみると、いちごの甘い香りのすぐ後からバナナのような完熟したフルーツの香りが口中を駆け巡る。

こんないちご食べたことない。
余韻の長さ、香りの濃さ、記憶に残る味わいで時が止まってしまったかのように立ち尽くすしかない。
無農薬でこのいちご栽培に挑戦するのは全国でもひょうたん鯰さんくらいだそう(取材当時)。その他にも紅ほっぺなどのいちごもあって、食べ比べができるのも楽しい点。みんなで比べて、これが良い、あれが好きだ、とトークを弾ませると河野さんも嬉しそうに後ろで笑っていた。

直売所は例年12月から翌5月頃まで開いている。駐車場も完備してあるので、琵琶湖でキャンプをするときなどにひょいっといちごを買いに寄るのも素敵だ。

季節によっては地域のお菓子屋さんなどとコラボレーションしたアイスなども売っている。

Instagramではその日の営業の様子を伝えてくれるので、ぜひチェックしてみて欲しい。

 

執筆後記

河野さんと初めて会ったのは、くさつFarmers’ Marketがきっかけ。最初はサボテン屋さんが出店してんねや、と思っていたらそのはず。河野さんはサボテンをたくさん育てていて、取材時にも農園に立派な多肉植物がたくさん植えられていた。

筆者自身、ミードという珍しいお酒を滋賀で醸造しているので「なかったものの価値」を届けることの難しさは知っているつもりで、今回の取材は河野さんの苦労やブランドの作り方の難しさを丁寧に伝えられればと思って望んでみた次第である。

ただ、そんな”おせっかい”は不必要で、河野さんは難しい無農薬でのいちご栽培を楽しんでやっていた。今年も無農薬でできるかな、新しい品種をやってみようかな、など。難しいと勝手に決めつけて取材に臨んだことを恥じるばかりだった。

安心、安全。そして何より活き活きとまっすぐに育てられた真っ赤ないちごは食べ飽きず、何個でも、何時でも食べたい。そう思えてならない。決して安い買い物ではないが、得られる経験からすれば十分価値がある。