2026.09.15
特別な日ではなく、ふだんの日々を愛するために。永源寺の週替わりまかない「ゐ処」
ゐ処[東近江市永源寺]

滋賀県東近江市。豊かな緑と清流に恵まれた永源寺地区。
静かな集落の小道沿いの古民家に、
ひっそりと佇む一軒のお店「ゐ処(いどころ)」があります。
くさつFarmers’ Marketでは毎度大行列のゐ処さん。
永源寺のお店では、一風変わった経歴の店主による、
渾身の週替わり昼飯をいただくことができます。
今回はこれまでの歩みやごはんづくりにおいて大切にされていること、
「日常でよろしい.」というコンセプトに込められた想いなどについて伺いました。

ほっとできる居場所が山小屋にあった
店主の灰谷真理子さんは東京出身。
決して緑が多い地域ではなかったものの、
プリクラやゲームセンターで遊ぶよりもお絵描きや虫取りが好きな子どもでした。
ひとつの重要な転機は、学生の頃の進路選択。
「美術系の高校に通っていたのですが、美術系からアウトドア系へと進路を変えたことから、結構いろいろなことがガラッと動いていく感じになりました」
高校時代に登山家の野口健さんの書籍を読んだこと、
その際に幼いころの自然への親しみを思い出したことなどが相まって、
新潟のアウトドアの専門学校へ。
その後は、対馬(長崎県)での観光関連の仕事、八ヶ岳の山小屋、冷凍野菜の工場、化粧品のPR、那須(栃木県)のゲストハウス、無人島の料理人、美山(京都府)の茅葺職人、農家の住み込み仕事、ディズニーランドのキャストなどを経験。
真理子さんは、「自分のお店を開く」という目的からの逆算でキャリアを重ねたわけではなく、その時その時の気持ちや興味関心に従って歩んできたそうです。
しかし、結果的にはこの時代の多様な仕事の経験の中に、
いまのゐ処に繋がるものが散らばっていました。
なかでも核となったのは山小屋での仕事。
「山小屋では、やはり食事が大きな楽しみになるので、”ごはんをいかに楽しく美味しくするか”ということにスタッフも真剣になるんです。そういう中で自分も厨房にいるのが苦じゃないな、料理面白いな、というのに気づきはじめて。」
「環境は過酷ですが、朝起きて掃除して、みんなでご飯を朝昼晩つくって食べてというリズムにほっとさせられるものがありました。実家では親も多忙でみんな揃ってごはんを食べる機会も多くなかったこともあり、そういう時間を十分にもてたこと、そういう暮らしが続いていくことにほっとしたのかな。」

料理の面白さ。
どのような空間や時間にほっとできるのか。
いつかはお店をやってみたい。
それに気がついた山小屋時代。
実は真理子さんの山小屋時代は、出戻り含めた2期に渡っています。
山を下りて様々な仕事につき経験が相対化されていくなかで、
そうした気づきの輪郭は強くなっていきました。
山を下り、「ゐ処」をつくる
出戻りで2期目の山小屋時代。
「いつかはお店を」との想いが具体化していく一番のきっかけは、
パートナーの剣(つるぎ)さんとの出会いでした。
初デートで滋賀県にある剣さんの実家にいきなり連れていかれ、
2度目の実家訪問の際に義父さんから「お店をやりたいならこの物件が借りられるよ」と、
永源寺にある築300年以上の古民家を紹介されました。
幸運なことに、元々飲食店が入っていて、厨房が厨房として使える状態の古民家。
それまで怖くて一歩を踏み出せずにいた真理子さん。
ここを断ったらもう次はないかもしれないという予感もあり、
婚約より前に物件を契約していました。

「物件に出会うまでは、怖さがありました。お店をもてば、能力・経験・お金。足りない部分が見えるのが怖かったんだと思います。そしてそれを乗り越えるだけの覚悟が必要なんだと。」
「でも実際に踏み出せたのは、覚悟ではなく諦めによってだと思います。店舗も道具も何もかも今あるものでやるしかない。もっと言えば、女性であることも変えられないし、男性みたいに重いものを持つこともできないとか、そういうところも全部含めて諦めてできることをやるしかないんだと思った時に、なんか勝手に始まってたみたいな。」

パートナーの剣さんも特に抵抗はなかったと言います。
「お店を始めることはスッと受け入れられました。2人とも長期的な目線での計画を立てるよりも直感的に、ピンときた時に動くタイプだと思います。」と、剣さん。
東京で鍋を買ったら底をついた貯金。
それでも、ゐ処は永源寺に産声をあげました。

まかないのような定食を、あるものでつくる
ゐ処のメニューは週替わりの定食(1種類)とドリンクで、決まった定番の看板メニューはありません。真理子さんがこだわるのは、「まかない」のような定食をつくること。ここには、山小屋時代からの哲学が息づいています。
特徴の1つは、食べる人の顔や状態を思い浮かべてつくること。
「季節、天気、暑いのか寒いのか。「ゴールデンウィーク明けだから遊び疲れてるかな?」といったお客さまの調子。旬の食材は何か。それに自分自身の気分。そういうところを考えて、まかないのような、ボリュームのあるごはんをつくっています。」
頻繁に天気予報をみながら、週がはじまる直前までメニューが決まっていないことも多いんだとか。

また別の特徴は、あるものでつくること。
「旬の食材を使いたいと思っていて。できるだけその時々の季節に並んでいる食材でメニューを組んだりしています。冬の間はトマトのメニューはやらないようにするとか。また、とりあえず冷蔵庫全部みて、これ入れちゃえ、これ混ぜてみよう、とメニューを考えることもありますね。」
山小屋では食材は麓から運ばれてくるものがほぼ全て。
先代の方が畑で育てた「これどうやって噛むの?」というくらい野太い水菜など、そこにあるもので登山者に喜んでもらえるごはんを考えていた真理子さん。なんでも手軽 手近に調達できる今でも、ある種の制約のなかで、それでいて自由にメニューを生み出しています。

安心感と面白み、それが「ゐ処」の味
毎週違うメニューを生み出し続けることは簡単ではないなかで、
なぜこのスタイルを続けられるのでしょうか。
真理子さんからは「飽きないように商売をするために」という答えが返ってきました。
「1つのレシピを深めていく専門店もあると思うんですけど、私は山小屋時代から今までレシピ通りにつくったことがないんですよ。計量も苦手で。だから決まったメニューにすると飽きちゃうだろうな。そうじゃないと続かないだろうなと。」
レシピから外れながらお店を続けるなかで、ゐ処としての特徴や、お客さまがゐ処で食べたいと思うごはんの形も見えてきたと言います。
「たとえばエビチリだったら普通に出してもやっぱり面白くないなと思って、普通はネギを散らすけどパセリをかけてみようとか。市場で見かけた珍しい食材を自分の中の引き出しに入れておいて、何か香りを足したくなった時に使ってみようとか。安心感もありつつも、ちょっと面白い要素を重ねたようなごはんがゐ処らしさかな、と感じています。だからメニューの冒頭に”〇〇香る”とよくついていますね。香らせがちです笑」

しかし、何より食べてくれる人がいるから創作を続けられる。1人だと全然料理をすることも包丁を持つことも少なく、お米と卵と豆腐と納豆くらいしか食べることがないそう。
「田舎に移住」「古民家」「週替わり創作定食」というキーワードから好きなことを追求した人生を連想してしまいそうですが、真理子さんにとっては他者の存在と、無理なく自然と続けられることが大きな意味を持ちます。
「食べてくれる人がいるから、こうしようああしようが生まれるんです。そうして厨房に立っているのは苦じゃないなって。」
食後も思い思いに過ごしてもらえたら
食後のお客さまが思い思いに時間を過ごすことができる「図書室」もゐ処の特徴です。
図書室には主に真理子さんの蔵書や骨董品が並び、縁側に面した座席からは庭の緑や放し飼いの鶏たちがみえる落ち着いた空間。お昼の定食に付くドリンクを持ち込んでゆっくりくつろぐことができます。

4つの和室からなる図書室は少しずつ調度品も異なっており、こだわりが見え隠れ。
「お客さまの性格や気分、状況。友達ときたとかちょっと一人になりたいとか。いろいろな過ごし方ができるように、1つ1つの席に全部座って位置や置くものを決めたところがいちばんのこだわりですね」
図書室のほかにも、古物店や裏庭など、様々な過ごし方ができるようになっています。裏庭ではビアガーデンなどのイベントが開催されることもあるそうです。

日常でよろしい.
ゐ処のコンセプトは「日常でよろしい.」。
この言葉がうまれたきっかけは、栃木県のゲストハウス勤務時代に遡ります。
「飲食サービスを提供しているのに、多忙で自分の暮らしはままなっていない。このことへの違和感、やるせなさ、怒りから、「日常でよろしい.」という言葉ができあがったところがあります。」
非日常を売りにする商品やサービスが多々あるが、そのご褒美やひと時を味わうために身を粉にして、身体や心を壊してしまうことへの違和感。
でも、人生の大半は日常である。そして、実は日常こそ変化に富んでいる。山の色も変われば、自分自身の気分も次の日には変わる。その日常を楽しむことができたら、満たされていたら、そうした無理をしなくてもよいのではないか。。。
こうした真理子さんの内なる想いをストレートにぶつけたのが、「日常でよろしい.」という言葉でした。

そして、お店を続けるうちに、この言葉はお客さまにも向けられたものとなっていきます。
カウンター越しにお客さまの生活リズムや日常がだんだんと見えてくる。引っ越しがある。
仕事が忙しい、など。なかでも、仕事の辛さから涙を流されたお客さまのことが印象に残っているといいます。
「ゲストハウス勤務の辛かった時代、(失礼ながら)全然美味しくないのに、しんどくても通ってしまうパン屋がありました。その時、飲食店というものには、料理が美味しいこと以外にも役割があるのだと感じました。その涙を流されたお客さまを見るにつけ、ゐ処という場を続けないといけないなと感じました。」
「ゐ処に来て下さる方々の普段のいろいろな実感を肯定したいという想い、非日常と日常の間のちょっと休まる場所であったらいいなという想いがありますね。」
くさつFarmers’ Marketではラーメンを熱々で
くさつFarmers’ Market(KFM)には月1回程度の頻度で出店中。
KFMの1日の最高売上を記録するほど、来場者から大人気となっています。
定食ではなくラーメンなどの麺料理の提供が主ですが、旬ではない素材は使わないなど、こだわりは同じです。

ゐ処のKFM出店といえば、圧倒的な提供スピード。
「お客さまが少ない時期もありましたが、ここを頑張ってみよう、攻めてみようと意気込んで取り組むうちに、多くの方にきていただけるようになりました。特に提供スピードについては、単純にやっぱお客さんに早く熱々のものを出したいと思って真剣に工夫しています。」
そのスピードゆえにお客さまと多くの会話をすることは難しいものの、それでも対面であることへのこだわりがありました。
「対面なのでやっぱり屋台みたいな、ライブ感みたいなところを大事にしたいなと思っているので、細かい話はできないですけど、手を動かしながら常になんか喋ってます。「多めに入れときますね」とか「今日暑いですね」とか「よいしょ」とか。「よいしょ」ってめちゃくちゃ言ってますね笑」
今年に入ってからはテイクアウトメニューの提供もはじまっており、ゐ処の味を自宅でも楽しんでいただけるようになりました。テイクアウトメニューの準備は相当大変ながら、家に持って帰ってでも食べたいと思ってくれるお客さまのことを想像して、チキン南蛮を準備した時には油まみれになりながら頑張っていたそうです
KFMという場への想いを伺うと、真理子さんはこう語りました。
「すごくありがたい場ですね、本当に。KFMをきっかけにゐ処を知り、お店にきてくださったお客さまもたくさんいらっしゃいます。また、様々な考え方の出店者がいる中でボランティアの方も含めて公平に、丁寧に運営してくださっていて。私たちはお客さまに美味しいものを食べていただくということだけに集中して出店することができています。」
人々の「日常」を静かに支える永源寺の店舗と、圧倒的な熱気を帯びるマーケット。そのどちらもがゐ処にとって欠かせない場となっています。
あの時逃げなかったから、今がある
今でこそ永源寺のお店も、KFMでの出店でもお客さまが絶えないゐ処。
しかし、開店初期は1組も来店がない日もあったのだとか。
「当初はごはんに一番自信がなかったんです。だから、メニューは自分都合で考えてしまっていたし、店の雰囲気やコミュニケーションに逃げそうになっていた。それでも、「やっぱりごはんを頑張らないといけない」と思ったタイミングがあり、次の週から真剣にメニューを考えるようになった。」
あのままごはんから逃げていたらどうなっていたかわからない。踏みとどまったその時の想いを胸に、ゐ処では今週も新たな味が生み出されています。
最後に将来について伺ったところ、
「自分たちで食べるごはんは、ゆくゆくは自分たちで作れたら」と、剣さん。
「近所にいてくれてよかったなっていう人になりたい」と、真理子さん。
定食が自家製の食材でいっぱいになったり、
「ゐ処」のあり方がごはん処から広がっていく日が、いつかくるのかもしれません。

- 文:Biwako no Hatake
- 写真:林田 天志
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